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沖縄出身のチョイバカおやじ。なぜかハワイで過ごすこととなり、2007年4月より、オアフ島に移ってきた。観光ではないので腰を落ち着けて、ハワイ生活を満喫しようと思っている。マーケティング関係の仕事なので、その関連からブログを作っていきたい。沖縄とハワイの掛け橋を目指し、壊れそうな中古車を駆使してハワイ中を駆け巡ります。ちなみに親戚がワイパフに住んでいます。いざという時にはとても頼りになります。ハワイでも沖縄のチムググルが生きています。趣味はこれから「ウクレレ」にします。
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2007年11月28日

ハワイのデ・マーケティング(ハナウマ湾)




ハナウマ湾を上から見たところ

ハナウマ湾は、さんご礁の保護目的でハワイで最初に保存区として指定されました。

指定から40年が経ち、死滅しかけたさんご礁や魚貝類がやっとで復活してきました。

ここは、1961年にエルビス・プレスリーの映画、「ブルー・ハワイ」のロケ地としても有名でもあります。

ハナウマ湾を訪れる人は1989年には観光客が7割を占めていました。

そして、利用者も1日一万人前後で、年間には300万人もいました。

しかし、利用者が増えるにつれ、彼らが魚に与えるパンとか豆類で湾内の海水は汚染され、日焼けローションが海面に漂うようになり、湾内の魚類が死滅し始めたのです。

そこで、ハワイ州は餌付け禁止や日焼けローション禁止、さんご礁の上を歩くことの禁止など、規制を強化しました。

2002年には、ハナウマ湾利用者の有料化、観光バスでくる観光客は湾の上の駐車場からの見学のみ等を決めています。

また、入場者は海洋生物の保護教育用ビデオの必見を義務つけました。

また、駐車場が満杯になると、これ以上の見学者・利用者は入場させないという制限をつけたのです(300台しか入れません)。

有名観光地は観光客を数多く集めるために年中無休の体制をとりますが、ハナウマ湾では週に一回、火曜日は一切入場者を入れずに、海を休ませています。

これらの厳しい保存規制により、現在では年間利用者は150万人前後と落ちつき、さんご礁、魚、海水、砂浜などは以前のきれいな状態に戻ってきているそうです。

観光ビジネスという観点からは、ハナウマ湾の戦略はお客さんを入れない方向に動いています。

つまり、マーケティングで言うところのろ販売促進を逆にした、非販売促進を行っているのです。

これは「デ・マーケティング」と言われ、いかに顧客の増加を抑えるかが目的となります。

結局、ハナウマ湾はこの「デ・マーケティング」により、死滅しそうであった自然を復活させ、「自然と楽しむ」という観光客や地元民のニーズを満たし続けることができたのです。

翻って沖縄の状況をみると、自然を守るという意識がまだ薄いように感じます。

結局、金の卵を産むガチョウを大切にしていくことで、継続した観光の発展が望めるのです。

あまり慌てて金の卵を産むガチョウを殺してしまってはいけません。  

2007年11月25日

ハワイ、ノースショアのサーフィン大会


アラモアナ側は波が静かです

ハワイ州のオアフ島の北側で行われるノースショア・サーフィン大会やしがあります。

昨年の11月から12月にかけて、約1ヶ月間、3種目のチャンピオンシップが展開されました。

そしてこの30日間の経済効果が発表されました。経済効果はすべてをまとめて1460万ドル(14億6千万円)となったそうです。

大会に参加したサーファーが164名、同伴者が31名、メディア関係者が223名、選手に同伴した観光客が1539名、大会開催に合わせてハワイを訪問した観光客は1650名です。

延べで7000名が大会を観戦して、テレビ放映で約190万人がサーフ大会を観戦したと推定しています。

そして、ハワイ州の税収入が約80万ドル(9千6百万円)あったと言います。

沖縄もスポーツイベントが定着してきています。

マラソン、トライアスロン、ゴルフ、野球キャンプ・・・。

後は、何かマリンスポーツも欲しいですね。

さて、このノースショア恒例のイベントが今年もあります!

世界のトッププロ・サーファー達が、オアフ島ノースショアの伝説のビッグウェイブに挑みます。

キックオフは、OPプロ(ハレイワ)です。

続いてオニール・ワールドカップ・オブ・サーフィン(サンセットビーチ)にて。

女子ロキシー・プロ(サンセットビーチ)が続きます。

そして、ビラボン・パイプラインマスターズ(パイプライン)が開催されます。

今年は、11月12日から12月30日の間に波の状況が良い日を選んで行われます。

近い内に、見に行きますニコ
  

2007年11月22日

小禄レストランビジネス研究会


コリアンレストランの注文窓口

毎週、第三火曜日には日本文化センターに出かけますぶーん

そこでは、Tさん夫妻を中心に小禄出身者のレストランビジネスを研究する会が催されています。

なぜ、小禄かと言うと、沖縄移民がスタートさせたハワイの飲食業の原点が小禄出身にあるからです。

私をその会に招いてくれたのは明治大学で博士課程で勉強しながら、ハワイに1年半ほど住んでいるK君でした。

彼は本土出身でありながら、ハワイの沖縄系移民の歴史を研究しています。

そして自費でハワイに住み込み、沖縄センターでボランティアで子供たちの世話をしたり、沖縄系3世や4世の通訳や文書の翻訳などを手伝ったりしているのです。

沖縄出身の私たちよりも多くの沖縄について知っています。

また、沖縄系のレストランで毎週土曜日に三線を引いてお客さん達を楽しませていました三線

彼はハワイでの生活を終えて明治大学に帰っていきました。

今は、ハワイで集めたいろいろな資料を元にして博士論文を執筆中だそうですシーサーオス

ハワイの沖縄移民が始めたレストランビジネスはもう少ししか残っていません。

一世や二世たちが引退し始め、高度な教育を受けた三世や四世達は別の仕事に付きはじめたのです。

そして、レストランビジネスをやっていた親たちも、自分たちの苦労を子供たちにさせたくないと、レストランを継ぐことを強制しなかったそうです。

今、これらのレストランビジネスは、韓国から来た新一世たちが買い取って、コリアンレストランを開店させています。

若い彼らの働くことに対する執着とパワーにはすごいものがありますごはん

量も多く、味も日本人に合い、白いご飯も美味しいので、私もよく食べます。

沖縄の移民たちも昔はそうだったんだろうなと感じさせます花笠

  

Posted by mebius60 at 17:03Comments(2)TrackBack(0)ハワイつれづれ

2007年11月19日

ハワイのお葬式



ハワイのお葬式に参列しました。

お世話になったAさん(沖縄系3世;具志川)のお葬式です。

Aさんの人柄を表すように多くの人がお葬式に参列していました。

葬式といっても、日本違い、線香は無し、喪服も無しで(アロハシャツで参加)、食事つきでした。

最初は、牧師さんの説教があり、Aさんの人柄やエピソードなどを紹介していました。

それから、ギターの演奏で参加者も一緒に賛美歌を唄いました。

式の終了後にバイキング形式の食事があり、みんな旧交を温めあいながらおしゃべりをしていました。

沖縄と似ていたのは、受付で香典を出して、名前・住所を書くところでした。

Aさんとはニ度しか会ったことはありません。

でも、その出会いでAさんの暖かい人柄とやさしさを感じました。

おごってもらったオリオンビールが美味しかった。

体がきついのに、日系スーパーの「まるかい」まで、連れて行ってくれて、いろいろと説明をしてくれました。

沖縄の一世たちが立ち上げたレストランやレストラン跡も一緒に回りました。

Aさんに会えて知り合いになれたことは、私にとって何もにも代え難い宝物です。

ご冥福をお祈りいたします。

  

Posted by mebius60 at 17:04Comments(0)TrackBack(0)ハワイつれづれ

2007年11月16日

ハワイでゴルフ、同級生とバッタリ


この木に貼り付けてあるターゲット版を狙って打てば、ドライバーはフェアウェイ上に

あるレストランのゴルフコンペに参加しました。

スコアはまあまあ。

場所はコーラルクリークというハワイ・オアフ島の西側にある比較的新しいゴルフ場です。

ゴルフが終了して、クラブハウスに全員が集まり、食事をしながら表彰式をしました。

そして、同組みで回った人達と、話をしていました。

そして、となりのテーブルに座っている日系人を見てみると、なんとなく見覚えがあります。

少し話をしてみると、日本語がうまい。

そして年齢を聞き、出身地を聞き、ついに発見しました。

彼は山内中学校時代の私の同級生でした。

K君と38年ぶりにハワイで再会です。

19歳に沖縄からハワイに渡り、ずっとハワイで暮らしているとの事。

世界はなんと狭いのでしょう。

高校でハンドボールをして、その腕前を買われてスポーツ特待生で沖縄国際大学に進学したあと、2年生のときにハワイ移住を果たしたのでした。

彼の頑張っている姿に感動です。

日本語も英語もすごいのですが、彼がいまだに方言で話しているのにも驚きました。

これから旧交を温めていきたいと思います。

  

Posted by mebius60 at 19:03Comments(10)TrackBack(0)ハワイつれづれ

2007年11月13日

ハワイ、日系人が作った病院、クアキニ病院


日本人移民がアメリカに設立した病院の中で唯一 現存するものとなっている

ある日の午後、日系人のAさん(3世)に連れられて、ホノルルの街を案内してもらいました。

その中で、クアキニ通りに位置する「クアキニ病院」に立ち寄りました。

駐車場に車を入れて、少し見学をしました。

そしてAさんから詳しい話を聞きました。

この病院は1892年に発足した日本慈善協会にかかわっているとの事です。

1899年、ホノルルのチャイナタウンでペストが大発生し、その蔓延を止めるために感染地の焼き払いが行われたそうです。

それがチャイナタウン一帯での大火事となってしまいました。

そこから着の身着のままで逃げ出した数千人の日系人を救済するために、日本慈善協会は1900年1月に仮避難所を作りました。

同年の7月には、病院建設の募金を募り、木造二階建て38床の「日本慈善病院」を設立しました。

これが現在のクアキニ病院の前身なのです。

その間には、「日本慈善病院」から「日本病院」「オアフ第百四十七総合病院」「クアキニホスピタル&ホーム」「クアキニ・メディカル・センター」そして、「クアキニ・メディカル・プラザ」と名前を変えていったのです。

1931年には「日本病院看護学校」もできて、日本語で授業をしていたそうです。

すごいですね。

ちなみに、一クラス20名で3年間過程です。

1955年(私が生まれた年)にはこの看護学校は閉鎖されたそうです。

残念ですね。

また、老人ホームも設立し、高齢で身寄りの無い砂糖耕地労働者の介護なども行っていました。

現在は250床を持ち、緊急医療と老人医療も実施しています。

日系人が設立したこのクアキニ病院は、今では屋上にはヘリポートも持っている最先端の技術を誇る医療施設となっています。

日系移民の人達のパワーを感じる病院です。
  

Posted by mebius60 at 18:02Comments(4)TrackBack(0)ハワイつれづれ

2007年11月10日

ハワイ最大のウェブショッピングモール


ハワイの街並み。

ハワイの物産を販売するハワイで最大の「日本向けウェブショッピングモール」ができます。

つまり、インターネットのホームページでハワイ物産を大々的に販売していこうというものです。

先日、説明会に行ってきました。

日本人や日系人、白人、ハワイアンなど多くのビジネス関連業者が来ていました。

約2時間ほどの説明会でしたが、無料で準備されたのコーヒーを飲みながらみんな真剣に聞いていました。

このシステムは日本のアフィリエイトシステムを使って、ハワイ発日本行きの新しい物品販売方法を提供するとのことです。

説明会では、一月で2,000万ページビューが期待されており、150万人に商品情報を発信するとのこと。

フラダンス、ウクレレ、ハワイアンミュージック、などの「ハワイ」が流行ってきた日本において、このウェブショッピングモールがどう浸透していくか、楽しみに見ていきたいと思います。

ちなみにショッピングモールの名称は「Hawaii Shop City」です。  

2007年11月07日

サンライズ、ハワイのレストラン、なぜ繁盛?その1


外見は冴えないが、中はいつも満員。ハワイでは珍しいカタカナの看板。

最近、良く行くレストランがあります。

名前は「サンライズ」。

ワイキキの外れで動物園の近くです。

琉球料理のお店です。

オーナーのTさんは、沖縄から来た新一世です。

このTさんの人柄が多くの人に親しまれ、お店はいつ行っても満員です。

私は平日に行って座れなかったことがあるので、今では必ず予約して行きます。

いろいろな人がお客さんとしてきます。

この前は、高木ブーさんご家族が食事をしていました。

さて、Tさんの人柄以外にも、人気の理由はあります。

それは、次回のブログで・・・。