2008年01月16日
ハワイでビデオを借りる
時々、日本の映画や、日本語の字幕がついた映画を観たくて、ビデオを借ります。
だいたいの店員さん達は親切で笑顔で接してくれて、映画だけでなく日本のドラマを録画したものも置いてあり、重宝しています。
でも、もしこのNビデオ店以外にもっと良いところがあれば、そこに乗り換えようかと思っています。
何故かと言いますと・・・。
私はこの9ヶ月で400ドルあまりのレンタル代を払っています。
しかし、特に特典もなく、借りれば借りるほど優遇されるということはありません。
それから、このようなことも経験しました。
お店は午前11時にオープンなのですが、ビデオを返しに10時半にそこに着きました。
特に外に返却用のボックスもありません。
5分ほど待っていると、あまり見たことのない店員さんが出てきました。
駐車場の鎖をはずし、外を掃除し始めました。
それで、その店員さんにちょっと早いのだけどこのビデオを返したいと言いましたら、「ちゃんと時間まで待ってください」と言われました。
ビデオは返却が遅れているわけでもなく、受け取ってカウンターに置いてくれるだけでいいのですが、お願いしても聞き入れてくれません。
仕方なく25分間程、外で待っていました。
店員さんは面倒が嫌だったのでしょうか? それとも、お店の方針?
でも、私はこのビデオ店を使い続けます。
なぜなら他の良いビデオ店を知らないからです。
でも、もしこのお店以外にあるなら、直ぐに利用するお店を変えるつもりです。
タグ :ビデオ
2008年01月14日
ハワイのサーフィン大会
12月16日の日曜日
。ノースショアのサーフィン大会
を見学に行きました。この日は絶好のドライブ日より
。天気も良く風もさわやか。
しかし、それが災いしたのか、波が高くなくて今日のサーフィン大会は延期です
。でも、海岸に行ってみると子供達がサーフィンをしているではありませんか
。たぶんプロも何名かいて、父兄も集まっていて、サーフィンの子供大会か、スクールではないかと思います。
親御さんの応援の中、子供達は素晴らしいサーフィンを見せてくれます。
感心しました
。写真に写っているサーファーは大体小学校4年から6年生くらいじゃないかと思います。
子供達のサーフィンを見た後、有名なカフクシュリンプを食べました
。このシュリンプワゴンの近くでは、エビを養殖していました。
私は今回はガーリック味にしました。
2008年01月12日
ハワイの「見える化」マーケティング
あるサーフィン関連のお店の中にサーフィンボードを作る工房がありました。
きれいな照明も当てて、大変幻想的な感じです。
買い物をしながら覗くことができます。
ノースショアにあるこのお店はサーフィンボードやサーフィンファッションを売っています。
これまで工房とか厨房とかは奥の見えないところに隠していることが多かったのですが。
今は、わざと表に出してお客様に見えるようにします。
お客様は、それを見て楽しみ、そして見えることで安心するのです。
今、舞台裏をみせる「見える化」マーケティングが増えています。
2008年01月10日
ピジョン・イングリッシュ
地元の人達のパーティー、ピジンイングリッシュが頻繁に聞かれた
その昔、ハワイの砂糖耕地で働くために、中国、日本、韓国、フィリピン、ポルトガルなどから、多くのひとがハワイに移住してきました
。そして、彼らは英語を基軸としてそれぞれの母国語などを混ぜて独自の言葉を話し始めたのです。
この新たに形成した独自の口語英語のことを、ピジン・イングリッシュと呼んでいます。
例えば、カウカウ
(食べ物とか食べるという意味)は、英語でもなくハワイ語でもありません。普通の英語より、アクセントが強く、歌を聴いているようです
。単語さえ分かれば、普通の英語よりは分かりやすいかもしれません。
レストランで地元のウエイトレスなどがおしゃれな英語でサービスをしてくれていて、その後に横を向いて友達とピジン・イングリッシュなどを話し始めると、驚きます
。沖縄でも若い子達が、観光客に丁寧な言葉で対応してしていても、横を向いて友達と話をするときに「ダールバーヨ」なんて話しますよね
。2008年01月08日
ハワイのカマアイナ
ポリネシア文化センターのショーもカマアイナは安かった
カマアイナ というのは、ハワイの地元の人達のことでです
。ハワイアンでは「土地の子供」という意味で、ハワイ生まれや、またはハワイに長く住んでいる人達のことを言います。
このカマアイナになれば、いろいろなショーやホテル、レストラン、ゴルフなどが安くなります。
「カマアイナ」になるのは、案外簡単です。観光客でもなれます
。方法としては、州政府(ホノルルにある)に行き、ステイツIDを作ります。
これはすぐ出来ます。
または、ハワイ州の自動車免許(仮免許証でも良い)を取得します。
これもフェデラル・オフィスでソーシャルセキュリティー番号を貰えないという書類を持って、日本語で筆記試験を受けて合格したら仮免許が貰えます。
これらの身分証明書がカマアイナの証明になるのです。
でも、市立のゴルフ場だけは、実技試験を合格した後に出る正式の免許証でなくてはカマアイナになりません。
ハワイは観光客のニーズの高さでいろいろなものが高価格になってきています。
そのような中で地元に住んでいる人もその高さのために大変な思いをするのです。
それを緩和するために、地元民優先の政策があります。
それが「カマアイナ」なんです。
沖縄も観光立県で観光客に経済的に助けられています
。しかし、普段の生活の中でも観光客と同じコストを払わされることも少なくありません
。でも県内のホテルやゴルフ場ののウチナーンチュプランなどはカマアイナ価格ですね
。2008年01月06日
ハワイのお正月体験
12月31日、アパートの大掃除を済ましてから、一人でダウンタウンにあるアロハタワーに行きました。
大晦日の花火大会があるのです。
その前に午後7時くらいから、ハワイの有名なミュージシャン達の無料ライブがあります。
ハワイに来て9ヶ月ですが、そのようなライブにもほとんど行きませんでした。
今日はその分を取り返そうと思い、6時頃からいい席に陣取り、11時半までのライブをすべて見ました。
そして、それからサンライズ・レストランで知り合ったロミオ宮里(近い内に紹介します)が仕事を終えて、アロハタワーに駆けつけてくれて、一緒になって新年の花火を見たのでした。
新年と同時に花火が上がりました。
全米でトップ10の規模らしいのですが、日本のに比べたらまあまあでした。
でも、周りの盛り上がりは日本以上です。
7時からライブがあったのは、この3名のハワイアングループ。ハワイアンポップスという感じ、ヤング達に人気がありました。
真ん中のボーカルの声がとてもソフトで素敵でした。
8時過ぎからは、女性のハワイアン歌手です。
右側にいるのが旦那さん、左側が弟です。右端でフラを踊っているのは娘さんだそうです。
トラディッショナルなハワイアンやしっとりとした歌を唄っていました。
9時過ぎからは、ジェイク島袋の弟子(??)の高校生二人組です。
早引きや、高校生らしい恋の歌を唄っていました。
なんでもウクレレ大会で優勝もしたらしいです。
最後に、レゲエバンドでした。
見ていた多くの若者達が舞台の前に出て一緒に踊っていました。
これらのバンドや歌手はみんな有名らしいのですが、私はどれも分かりません。
でも、素晴らしい音楽がたくさん聴けて満足しています。
いい大晦日でした。
2008年01月04日
ハワイ語、指針小冊子の発行
誇り高きカメハメハ大王が小さくではあるが中央に写っている
マイアミのクルーズ会社がハワイの人達が誇りにするカメハメハ大王がシャンペングラスを掲げている写真を自社の広告に使ったそうです。
それを見たハワイの人達は不適切で無神経すぎると憤慨して抗議をしました。
そのクルーズ会社は直ぐに謝罪して広告を取り下げたらしいのですが。
たびたびこういう事が起きるために、ハワイの観光関連の公的機関、ハワイ・ツーリズム・オーソリティー(HTA)は、ハワイが正しく理解されていないことを認識しました。
そして、ハワイ外の人が誤解しがちなことを明確にして、ハワイ語の正しい使い方を解説したガイドブックを発行したのです。
細かい内容は省略するとしまして、ガイドブックの中からハワイの新しい言葉を少し紹介します。
ハワイ語辞書委員会は、これまでハワイアンで表現できなかったものを、ハワイ語にして辞書を作っています。
日本 Iapana(イアパナ)
大根 Kaikona(カイコナ)
箸 La'au'ai(ラアウ・アイ)
テレビ Kelewikiona(ケレヴィキノア)
電話 Kelepona(ケレパナ)
コンピューター Kamepiula(カメピウラ)
コーヒー Kope(コペ)
パン Palaoa(パラオア)
招き猫 Manekineko(マネキネコ)
ちなみに、「招き猫」までハワイ語で作られる背景には、ハワイの飲食業は日系だけに限らずどこでも招き猫が飾られているためです。
沖縄も先祖伝来のウチナーグチがあります。
そして、沖縄独特の習慣や決まり事もあります。
ハワイみたいに州を上げて自分たちの文化と言葉を守ろうとする姿には感心します。
沖縄以外の外で作られた沖縄の姿と、自分たちが大切にしてきた姿の間に、ギャップが出てきているような気がします。
どのようにして守るか・・・、いや、その前に沖縄の「何」を守るのかをハッキリとさせて、それを守る気持ちを少しずつでも高めていくのが先でしょうか。
2008年01月01日
ハワイより、謹賀新年
新年にハワイの暖かい風を送ります
新年明けましておめでとうございます
。ハワイから新たな年のお幸せをお祈りいたします
。しかし、このブログが掲載された今、ハワイはまだ31日です。
日本に日が昇り、それからヨーロッパを回って米国本土、そしてハワイにようやく新年が来るのです。
あと三ヶ月でハワイともお別れです
。昨年は、あまりブログも更新できませんでした。
また、ハワイで成功した沖縄系の一世の話もまだ一回も掲載していません。
先日、第一回目の成功者のインタビューが終了しました。
これをまとめてから1月中旬に掲載を予定しています。
沖縄に帰る前に、せめて2~3名はご紹介したいと思っています。
最初は「クラブ瀬理奈の元気なオーナーの安次富さん
」そして、サンライズの玉寄さん
、花笠の照屋さん
、リムジンの金城さん
などを予定しています。みんな沖縄から単身ハワイに乗り込んできて、自分でビジネスを始め、成功している人達です
。Aloha & Mahalo
2007年12月29日
ハワイ、地元の人が集まるフリーマーケット
カム・スワップミートに行ってみました
。パールリッジ・ショッピング・センター横のドライブインシアター跡でやっています。
観光客はあまり見かけず大体が地元客です
。このスワップミート/ SWAP MEET という言い方はあまり耳に馴染みがないかもしれません。
これは日本で言うところのフリーマーケットと同じように屋外で賑やかに開かれる青空市のことです
。もともとは各自が持ち寄った古着や古道具、野菜、果物などを交換、あるいはタダ同然の値段でやりとりした小規模な交換市がはじまりとか。
定期的に開催されるものとしてはアロハスタジアムとカム・ドライブインシアターの2か所が有名で人気を集めています。
しかしこの2つは、規模も内容も大きく違います。
カム・スワップミートは「圧倒的にロコが多い地元密着使い古し品満載
」という感じです。それから、アロハスタジアムは「超ビッグなお祭り縁日感覚
」といったところでしょうか。カムは地元中心で、アロハスタジアムは旅行者をターゲットにした土産物がメインになっています。
アロハスタジアムにも何度か行きましたが、規模の面では大きいのですがワイキキのお土産品店の延長線という感じがしました。
ただし、そこで売っている物はワイキキで買うよりもかなり安くなっています。
観光客はワイキキでどのようなものを買いたいかを決めて、それからアロハスタジアムで実際に購入すると、お土産代やショッピング代が半分以下になるかも知れません
。私のお気に入りはやっぱりカム・スワップ・ミートです。
理由は「 宝物さがし 」感覚です。
実際に買う物は少ないのですが、歩いて回っているとこんな物までと思うものも売っています
。この二つのスワップミートは案外近いところに位置しています。
一つに来たら、もうひとつにも足が伸ばせる距離です。
マーケティング的に言えば、集積効果を出しながらポジショニングの差別化を図って共存している状況です。
オープン時間もずらしており、早朝はカムにちょっと時間が経ってからアロハスタジアムに移動というパターンで楽しめます。
2007年11月28日
ハワイのデ・マーケティング(ハナウマ湾)

ハナウマ湾を上から見たところ
ハナウマ湾は、さんご礁の保護目的でハワイで最初に保存区として指定されました。
指定から40年が経ち、死滅しかけたさんご礁や魚貝類がやっとで復活してきました。
ここは、1961年にエルビス・プレスリーの映画、「ブルー・ハワイ」のロケ地としても有名でもあります。
ハナウマ湾を訪れる人は1989年には観光客が7割を占めていました。
そして、利用者も1日一万人前後で、年間には300万人もいました。
しかし、利用者が増えるにつれ、彼らが魚に与えるパンとか豆類で湾内の海水は汚染され、日焼けローションが海面に漂うようになり、湾内の魚類が死滅し始めたのです。
そこで、ハワイ州は餌付け禁止や日焼けローション禁止、さんご礁の上を歩くことの禁止など、規制を強化しました。
2002年には、ハナウマ湾利用者の有料化、観光バスでくる観光客は湾の上の駐車場からの見学のみ等を決めています。
また、入場者は海洋生物の保護教育用ビデオの必見を義務つけました。
また、駐車場が満杯になると、これ以上の見学者・利用者は入場させないという制限をつけたのです(300台しか入れません)。
有名観光地は観光客を数多く集めるために年中無休の体制をとりますが、ハナウマ湾では週に一回、火曜日は一切入場者を入れずに、海を休ませています。
これらの厳しい保存規制により、現在では年間利用者は150万人前後と落ちつき、さんご礁、魚、海水、砂浜などは以前のきれいな状態に戻ってきているそうです。
観光ビジネスという観点からは、ハナウマ湾の戦略はお客さんを入れない方向に動いています。
つまり、マーケティングで言うところのろ販売促進を逆にした、非販売促進を行っているのです。
これは「デ・マーケティング」と言われ、いかに顧客の増加を抑えるかが目的となります。
結局、ハナウマ湾はこの「デ・マーケティング」により、死滅しそうであった自然を復活させ、「自然と楽しむ」という観光客や地元民のニーズを満たし続けることができたのです。
翻って沖縄の状況をみると、自然を守るという意識がまだ薄いように感じます。
結局、金の卵を産むガチョウを大切にしていくことで、継続した観光の発展が望めるのです。
あまり慌てて金の卵を産むガチョウを殺してしまってはいけません。
2007年11月25日
ハワイ、ノースショアのサーフィン大会
アラモアナ側は波が静かです
ハワイ州のオアフ島の北側で行われるノースショア・サーフィン大会
があります。昨年の11月から12月にかけて、約1ヶ月間、3種目のチャンピオンシップが展開されました。
そしてこの30日間の経済効果が発表されました。経済効果はすべてをまとめて1460万ドル(14億6千万円)となったそうです。
大会に参加したサーファーが164名、同伴者が31名、メディア関係者が223名、選手に同伴した観光客が1539名、大会開催に合わせてハワイを訪問した観光客は1650名です。
延べで7000名が大会を観戦して、テレビ放映で約190万人がサーフ大会を観戦したと推定しています。
そして、ハワイ州の税収入が約80万ドル(9千6百万円)あったと言います。
沖縄もスポーツイベントが定着してきています。
マラソン、トライアスロン、ゴルフ、野球キャンプ・・・。
後は、何かマリンスポーツも欲しいですね。
さて、このノースショア恒例のイベントが今年もあります!
世界のトッププロ・サーファー達が、オアフ島ノースショアの伝説のビッグウェイブに挑みます。
キックオフは、OPプロ(ハレイワ)です。
続いてオニール・ワールドカップ・オブ・サーフィン(サンセットビーチ)にて。
女子ロキシー・プロ(サンセットビーチ)が続きます。
そして、ビラボン・パイプラインマスターズ(パイプライン)が開催されます。
今年は、11月12日から12月30日の間に波の状況が良い日を選んで行われます。
近い内に、見に行きます
。2007年11月22日
小禄レストランビジネス研究会
コリアンレストランの注文窓口
毎週、第三火曜日には日本文化センターに出かけます
。そこでは、Tさん夫妻を中心に小禄出身者のレストランビジネスを研究する会が催されています。
なぜ、小禄かと言うと、沖縄移民がスタートさせたハワイの飲食業の原点が小禄出身にあるからです。
私をその会に招いてくれたのは明治大学で博士課程で勉強しながら、ハワイに1年半ほど住んでいるK君でした。
彼は本土出身でありながら、ハワイの沖縄系移民の歴史を研究しています。
そして自費でハワイに住み込み、沖縄センターでボランティアで子供たちの世話をしたり、沖縄系3世や4世の通訳や文書の翻訳などを手伝ったりしているのです。
沖縄出身の私たちよりも多くの沖縄について知っています。
また、沖縄系のレストランで毎週土曜日に三線を引いてお客さん達を楽しませていました
。彼はハワイでの生活を終えて明治大学に帰っていきました。
今は、ハワイで集めたいろいろな資料を元にして博士論文を執筆中だそうです
。ハワイの沖縄移民が始めたレストランビジネスはもう少ししか残っていません。
一世や二世たちが引退し始め、高度な教育を受けた三世や四世達は別の仕事に付きはじめたのです。
そして、レストランビジネスをやっていた親たちも、自分たちの苦労を子供たちにさせたくないと、レストランを継ぐことを強制しなかったそうです。
今、これらのレストランビジネスは、韓国から来た新一世たちが買い取って、コリアンレストランを開店させています。
若い彼らの働くことに対する執着とパワーにはすごいものがあります
。量も多く、味も日本人に合い、白いご飯も美味しいので、私もよく食べます。
沖縄の移民たちも昔はそうだったんだろうなと感じさせます
。2007年11月19日
ハワイのお葬式
ハワイのお葬式に参列しました。
お世話になったAさん(沖縄系3世;具志川)のお葬式です。
Aさんの人柄を表すように多くの人がお葬式に参列していました。
葬式といっても、日本違い、線香は無し、喪服も無しで(アロハシャツで参加)、食事つきでした。
最初は、牧師さんの説教があり、Aさんの人柄やエピソードなどを紹介していました。
それから、ギターの演奏で参加者も一緒に賛美歌を唄いました。
式の終了後にバイキング形式の食事があり、みんな旧交を温めあいながらおしゃべりをしていました。
沖縄と似ていたのは、受付で香典を出して、名前・住所を書くところでした。
Aさんとはニ度しか会ったことはありません。
でも、その出会いでAさんの暖かい人柄とやさしさを感じました。
おごってもらったオリオンビールが美味しかった。
体がきついのに、日系スーパーの「まるかい」まで、連れて行ってくれて、いろいろと説明をしてくれました。
沖縄の一世たちが立ち上げたレストランやレストラン跡も一緒に回りました。
Aさんに会えて知り合いになれたことは、私にとって何もにも代え難い宝物です。
ご冥福をお祈りいたします。
2007年11月16日
ハワイでゴルフ、同級生とバッタリ
この木に貼り付けてあるターゲット版を狙って打てば、ドライバーはフェアウェイ上に
あるレストランのゴルフコンペに参加しました。
スコアはまあまあ。
場所はコーラルクリークというハワイ・オアフ島の西側にある比較的新しいゴルフ場です。
ゴルフが終了して、クラブハウスに全員が集まり、食事をしながら表彰式をしました。
そして、同組みで回った人達と、話をしていました。
そして、となりのテーブルに座っている日系人を見てみると、なんとなく見覚えがあります。
少し話をしてみると、日本語がうまい。
そして年齢を聞き、出身地を聞き、ついに発見しました。
彼は山内中学校時代の私の同級生でした。
K君と38年ぶりにハワイで再会です。
19歳に沖縄からハワイに渡り、ずっとハワイで暮らしているとの事。
世界はなんと狭いのでしょう。
高校でハンドボールをして、その腕前を買われてスポーツ特待生で沖縄国際大学に進学したあと、2年生のときにハワイ移住を果たしたのでした。
彼の頑張っている姿に感動です。
日本語も英語もすごいのですが、彼がいまだに方言で話しているのにも驚きました。
これから旧交を温めていきたいと思います。
2007年11月13日
ハワイ、日系人が作った病院、クアキニ病院

日本人移民がアメリカに設立した病院の中で唯一 現存するものとなっている
ある日の午後、日系人のAさん(3世)に連れられて、ホノルルの街を案内してもらいました。
その中で、クアキニ通りに位置する「クアキニ病院」に立ち寄りました。
駐車場に車を入れて、少し見学をしました。
そしてAさんから詳しい話を聞きました。
この病院は1892年に発足した日本慈善協会にかかわっているとの事です。
1899年、ホノルルのチャイナタウンでペストが大発生し、その蔓延を止めるために感染地の焼き払いが行われたそうです。
それがチャイナタウン一帯での大火事となってしまいました。
そこから着の身着のままで逃げ出した数千人の日系人を救済するために、日本慈善協会は1900年1月に仮避難所を作りました。
同年の7月には、病院建設の募金を募り、木造二階建て38床の「日本慈善病院」を設立しました。
これが現在のクアキニ病院の前身なのです。
その間には、「日本慈善病院」から「日本病院」「オアフ第百四十七総合病院」「クアキニホスピタル&ホーム」「クアキニ・メディカル・センター」そして、「クアキニ・メディカル・プラザ」と名前を変えていったのです。
1931年には「日本病院看護学校」もできて、日本語で授業をしていたそうです。
すごいですね。
ちなみに、一クラス20名で3年間過程です。
1955年(私が生まれた年)にはこの看護学校は閉鎖されたそうです。
残念ですね。
また、老人ホームも設立し、高齢で身寄りの無い砂糖耕地労働者の介護なども行っていました。
現在は250床を持ち、緊急医療と老人医療も実施しています。
日系人が設立したこのクアキニ病院は、今では屋上にはヘリポートも持っている最先端の技術を誇る医療施設となっています。
日系移民の人達のパワーを感じる病院です。
2007年11月10日
ハワイ最大のウェブショッピングモール
ハワイの街並み。
ハワイの物産を販売するハワイで最大の「日本向けウェブショッピングモール」ができます。
つまり、インターネットのホームページでハワイ物産を大々的に販売していこうというものです。
先日、説明会に行ってきました。
日本人や日系人、白人、ハワイアンなど多くのビジネス関連業者が来ていました。
約2時間ほどの説明会でしたが、無料で準備されたのコーヒーを飲みながらみんな真剣に聞いていました。
このシステムは日本のアフィリエイトシステムを使って、ハワイ発日本行きの新しい物品販売方法を提供するとのことです。
説明会では、一月で2,000万ページビューが期待されており、150万人に商品情報を発信するとのこと。
フラダンス、ウクレレ、ハワイアンミュージック、などの「ハワイ」が流行ってきた日本において、このウェブショッピングモールがどう浸透していくか、楽しみに見ていきたいと思います。
ちなみにショッピングモールの名称は「Hawaii Shop City」です。
2007年11月07日
サンライズ、ハワイのレストラン、なぜ繁盛?その1
外見は冴えないが、中はいつも満員。ハワイでは珍しいカタカナの看板。
最近、良く行くレストランがあります。
名前は「サンライズ」。
ワイキキの外れで動物園の近くです。
琉球料理のお店です。
オーナーのTさんは、沖縄から来た新一世です。
このTさんの人柄が多くの人に親しまれ、お店はいつ行っても満員です。
私は平日に行って座れなかったことがあるので、今では必ず予約して行きます。
いろいろな人がお客さんとしてきます。
この前は、高木ブーさんご家族が食事をしていました。
さて、Tさんの人柄以外にも、人気の理由はあります。
それは、次回のブログで・・・。
2007年10月18日
ハワイの弁護士は大変です
ハワイの弁護士は大変そうです。
アメリカでは、各州毎に弁護士の免許があります。
そして、話によると弁護士稼業はものすごい収入がもらえるそうです。
さて、そんな中で、私のイトコの旦那さんであるMさん(日系人)は、ハワイ州の弁護士です。
いいえ、弁護士でした。
特に民法の専門家で離婚問題などを扱っていたそうです。
でも今は、ハワイの大手のスーパーマーケットの人事担当役員をしています。
そのイトコの旦那に弁護士を辞めた理由を聞いてみると、「ストレス」だと言っていました。
そして、知り合いのLさん(中国系)は、現在ハワイ州とネバダ州の弁護士免許を持っていて、日本にも陪審員制度の講演に行くくらいの人です。
でも、Lさんは弁護士の仕事をしながら大学院でTESLを勉強しています。
TESLとは、英語を外国人に教えることを学ぶ学科です。
このLさんも大学院を卒業したら弁護士を辞めて、ハワイか日本で外国人に英語を教える仕事をしたいと言っています。
日本人から見ると、弁護士を辞めるなんてもったいないと思いますが、彼の言い分は、「弁護士は毎日けんかばっかりしている。それよりは、人の良いところを見つけてそれを伸ばす教師の仕事が良い」とのことでした。
LさんもMさんもハワイカイ(高級住宅街)に自宅があります。
特にLさんの自宅の後ろにはボートの係留はしけまであるそうです。
彼らはお金ではなく、生き方に価値観をみいだしているのだなと思いました。
2007年10月10日
アメリカ初の仏教系高校がハワイに
アメリカに初めてできた仏教系の高校がハワイ
にあります。
そして、初の卒業式が今年の5月18日にありました。
校長先生はパイパー当山さんで剣道五段の日系三世です。
この高校では柔道・剣道・太鼓を必須科目と位置づけて、「生徒自身が自分で考える」を教育理念としています。
卒業生は14名で全員が米国本土やハワイの大学・短大に進学したそうです。
ちなみに仏教高校なので日本人が多いのかと思いましたが、中国系や韓国系、白人とアジア系ハーフ生徒もいるそうです。
しかし、ハワイは面白いところですね。
そして、日本の文化・習慣が色濃く残っている事に感心しました。
にあります。そして、初の卒業式が今年の5月18日にありました。
校長先生はパイパー当山さんで剣道五段の日系三世です。
この高校では柔道・剣道・太鼓を必須科目と位置づけて、「生徒自身が自分で考える」を教育理念としています。
卒業生は14名で全員が米国本土やハワイの大学・短大に進学したそうです。
ちなみに仏教高校なので日本人が多いのかと思いましたが、中国系や韓国系、白人とアジア系ハーフ生徒もいるそうです。
しかし、ハワイは面白いところですね。
そして、日本の文化・習慣が色濃く残っている事に感心しました。
2007年09月26日
ハワイの観光に陰りが
ハワイのホテル客室稼働率が減少気味だそうです。
一番の原因は上得意客の日本人旅客数が減少したことです。
ハワイの観光はこれまで優等生で、継続して好景気を享受してきました。
しかし、最近は日本と米国東海岸の観光客減少で営業成績を判断する稼働率80%を割って71.1%となり、観光関係者の間で不安感が高まっています。
他の観光地に比べればまだまだ良い数字ですが、これまでの流れから減少傾向はハワイの観光産業全体の将来の業績不振を占うものかもしれません。
ハワイの宿泊業界では数年前から宿泊料金の値上げを行ってきて、客室稼働率の減少を相殺してきたのですが、総合的な売上げで4%の下落となったそうです。
観光業界の人と話しても日本人観光客が少なくなったと言います。
ハワイ全体で日本人観光客にもっと気を配らなければ、日本人は別なところに取られてしまいそうです。
ちなみに、何名かの日本人旅行業界関係者の話では、ハワイでの厳しい喫煙規制が問題だということですが・・・。
それはどうでしょうか?


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