2015年10月21日
ハワイ行きが決定!!
ついにハワイ行きが決まりました。
仕事で来年の4月から1年間、またハワイに行きます。
前回からはや9年、ハワイのビジネス環境も変わったのではないかと思います。
今回も、「瀬里奈」のその後の取材や他のハワイビジネスを楽しくレポートします。
ちなみに、「瀬里奈」は沖縄県にもう一店舗オープンしました。
ハワイと沖縄、面白いですね。
ハワイに行くまでに後5ヶ月ほどありますが、少しずつマーケティングについて書いていきます。
2011年03月01日
久しぶりのブログです
久しぶりにブログにログオン。
また、ブログ再開です。
これまで瀬里奈のニーナさんに焦点を当てて書いてきました。
実はまだまだたくさん書くことがあります。
まずはニーナさんをちゃんとすべてを紹介してから、次の人に進みたいと思います。
ニーナさんはハワイで全ハワイ・沖縄合同カラオケイベントを成功させたみたいです。
まだ、十分に紹介も終わっていない状態で、次々と新しいことに挑戦しているニーナさん。
執筆が追いつきません。
ニーナさんの後にはレストラン・サンライズのオーナーシェフの玉寄さん、光洋不動産の中村社長、ハワイ・パシフィックプレスという邦字新聞社の仲嶺編集長が控えています。
がんばります。
2009年02月22日
クラブ瀬里奈、成功物語その13
ポリネシア文化センターの運河でのフラダンス
クラブ瀬里奈は、他のクラブで満足できない顧客が来てくれて、そしてリピーターとなっていきます。
さてそれは瀬里奈のどのような強みがあって成し遂げられるのでしょうか。
私が考えたところでは:
①明朗家計。ビールが3ドル(今の為替で270円)ほど、後はカラオケが1ドル(90円:日本語・英語すべて揃っている)。女の子を付けると彼女の一杯20ドル(1800円:もちろんこれはオプションで)。
②女の子の質が高い。サービスが良い、また話していても面白い。
③料理が美味しい。ママが琉球料理研究家でもある。注文があれば本格的な料理も出す。
④短期的儲けより長期的なつながりを重視する。
だと言えます。
でも、一番の強みは、ニーナさんが持っている、どんな話にでもついていける明敏さ、お客様を大切にする心遣い、周りの雰囲気を楽しくする性格、長期的経営視点じゃなかと思います。
2009年02月19日
クラブ瀬里奈、成功物語その12
私が住んでいたアパートの近所の風景
安次富さんことニーナさんが言うには、瀬里奈にはライバルはいないそうです。
なぜか?。
それは瀬里奈は瀬里奈らしさで勝負しているというのです。
一体瀬里奈らしさとはどういうものか、それはこれからもう少し後で紹介します。
ニーナさんは瀬里奈の雰囲気にあうお客様が来てくれれば良い考えているので特にライバルという考え方は無いそうです。
逆にワイキキあたりのクラブに行き、何となく自分が考えているのと違うと感じていた人達が、瀬里奈に来てハワイでやっとで居場所を見つけたと言ってくれます。
2009年01月26日
クラブ瀬里奈、成功物語その11
クラブ瀬里奈のオーナーは沖縄県出身の安次富さんです。
みんなはニーナさんと呼んでいます。
ニーナさんがお店の経営で重視しているものは、良いサービスのクリエイトと瀬里奈を取り巻くいろいろな環境変化に対応することでといいます。
つまりお酒と料理を楽しいお話と共に提供するサービスですが、それに付加価値をいかに付けるかというところが重要なのです。
また、ハワイを取り巻く環境が米国本土や日本の経済状況の変化で、関連して影響を受けています。
ニーナさんはこれに対してどう対処するのか考えています。
つまり、環境変化に合致した新たな付加価値の創出が重要な課題なのです。
2009年01月23日
今年から本腰を入れて更新します
ハワイで活躍している、沖縄からの移民・新一世の物語です。
ホノルルのクラブ瀬里奈の成功の秘密の更新開始です。
今年の2月から少し時間的余裕がでそうです。
それで更新をスタートします。
長い間更新をしていなかったので、書く内容も忘れてきたのですが、瀬里奈のオーナーのニーナさんと連絡を取りながら書いていきます。
それでは、前回の続き:
ニーナさんは、従業員には服装に気をつけさせています。
ドレスや髪型などはその人とお店の品格を表します。
最初に瀬里奈の雰囲気にあうような服を持っていなければ、2~3枚を買ってあげるそうです。
お店の格を維持すると同時に、従業員の負担を軽くしてあげるためです。
私はそこまでする必要があるかと思いましたが、ニーナさんは言います。
目の前の少しの損より、長い目で見た利益が大切なんだと。
2008年10月01日
長い間、更新していません
ハワイを離れてはや6ヶ月。沖縄のリズムに戻るに時間がかかっています。
沖縄と言うより、仕事のリズムですかね。
ハワイでは沖縄系新一世の方4名のインタビューを終えており、書くための材料はたくさんあるのですが、筆が(指が)進みません。
この企画は10名を取材して、本として出版を予定しています。
確実に一歩ずつでも進めていきたいと思います。
2008年06月20日
クラブ瀬里奈、成功物語その9
安次富さんは従業員が幸せでなければ、良い仕事ができないと考えています。
それで従業員に対しては、常に感謝の気持ちを忘れないこと、きめ細かい気配りをすることを信条としています。
例えば、クラブで着る服が無い人には、一緒にアラモアナショッピングセンターまで行って、センスの良い服を1~2着買ってあげるそうです。
泊まるところが無い人には、アパートが見つかるまで自分のコンドミニアムにも泊めてあげます。
そのような安次富さんを従業員達は信頼しています。
沖縄の「イチャリバーチョーデー」の精神を自分から実践して、そしてそれを身をもって教えています。
そして大切にされた従業員は、今度はお客さんに感謝の気持ちを持って接するようになっています。
2008年06月17日
ハワイのジャメーン・ルアウ
ルアウが始まる前の会場、海のそばです
知り合いがジャーメーン・ルアウという会社の社長さんにインタビューすることになりました。
それでちゃっかりとそれに付いて行き、一緒に話を聞いてきました。
インタビューが終了して、Kusaka社長がショーに招待すると言ってくださいました。
ジャメーン・ルアウとは、オアフ島の西側にあり、ハワイアンフードを食べながら、ハワイや南太平洋の歌やダンスを楽しむ「ディナーショー」です。
この会社はハワイのファーストフード・レストラン業界の大手の「ジッピーズ」の関連会社です。
ジッピーズは名護出身の3世、比嘉ファミリーが興したハワイでも有名なレストランです。
顧客ターゲットは主として米国からの観光客です。
一時期は日本市場も狙ったそうですが、英語と日本語の両方への対応ではコストがかかりすぎるということで、英語圏市場にフォーカスしたのです。
その為に、見物人で日本人は私達だけでした。
ハワイと南太平洋島嶼国の歌やダンスを充分に堪能しました(もちろん無料で)。
薄暗くなって、ショーが始まりました
2008年06月14日
クラブ瀬里奈、成功物語その8
安次富さんは従業員の質を高めるために、クラブ瀬里奈のポリシーを徹底的に覚えさせています。
その一つの方法として、女性従業員のトイレに「喜ばれるサービスとは」と題する文書を掲示しています。
従業員達はトイレに入る度に、それらを見てお客様が喜ぶサービスを覚え、そしてお店で実践していくのです。
このように小さな事を確実にしていくことが、クラブ瀬里奈の強さだと言えます。
2008年06月11日
クラブ瀬里奈、成功物語その7
安次富さんは経営者になる前はワイキキでブライダル会社に1年半ほど勤めていました。
その後クラブ瀬里奈をオープンさせます。
お店を成功させる自信はありました。
なぜなら、「なんでも一生懸命すれば夢は叶う」と信じているからです。
これまでも、歌手・ブティックの経営者、ハワイ移住、すべて望むことを実現してきました。
信じる力、夢を引き寄せる力こそ重要だと思っているのです。
2008年06月08日
クラブ瀬里奈、成功物語その6
クラブ瀬里奈の経営に影響を与える外部環境としては、経済状況だそうです。
その理由を聞けば、特に観光客と地元日系企業の社員達の動向らしいのです。
つまり、日本の景気が良ければ、日本からの観光客が増えるし、ハワイの日系企業も経済的にうるおい、地元日本人客も増えるのです。
オーナーの安次富さんは、このようにハワイのそして日本の経済を直接的に感じながらお店を運営しているのです。
2008年05月25日
クラブ瀬里奈、成功物語その5
クラブ瀬里奈のオーナー、安次富さんは頑張りました。
お店は10年ほど前に20万ドルで営業権を買い取ったそうです。
そして、それを3年で返済したのでした。
借金の重さに夜も眠れない日が続いたそうです。
でも、単身乗り込んできたハワイで負けるわけにはいかないと、頑張り続けたのです。
さて、クラブ瀬里奈の名前の由来です。
「瀬里奈」という名前にした理由は、六本木瀬里奈など有名なお店が東京にあり、その品格の高さを受け継ぎたいと思ったことでした。
東京の「瀬里奈」は世界中からお金持ちが、日本に来たときにわざわざ訪れる所なのです。
ハワイの瀬里奈もそのようになりたい、そして世界の中で選ばれるお店になりたいという安次富さんの夢がこもった名前としたのでした。
2008年05月02日
クラブ瀬里奈、成功物語4
「クラブ瀬里奈」のお客様の比率としては、ハワイの地元客が50%、ハワイ在住日本人が25%、そして観光客が25%くらいとなっています。
最近はワイキキのお触りバーに嫌気をさした観光客や、適切な値段で楽しく飲めるという噂を聞いてきた地元客で一杯です。
特に観光客の比率が上昇してきています。
ハワイリピーターの観光客は、ハワイに来たら必ず瀬里奈に寄ってくれるとのこと。
お客様は、沖縄、北海道と大阪からのお客さんが多いそうです。
紹介、紹介でその地域のお客様が増えています。
2008年04月30日
クラブ瀬里奈、成功物語3
お店の雰囲気としては、賑やかそして朗らか。
女の子達は25才くらいから40才くらいまでがいます。
みんな明るく、そして理知的で美人そろいです。
「クラブ瀬里奈」はお客様が楽しく過ごせる場所であります。
また、お客様同士が友達になっていき、友達の輪が広がることがよくあります。
私もそこで日系人の議員の方やハワイにある有名旅行社の社長さんなどを紹介され、一緒に飲みました。
2008年04月28日
クラブ瀬里奈、成功物語2
「クラブ瀬里奈」の提供するサービスは、美味しいお酒を飲む空間の提供です。
つまり、お酒はどこでも飲めますが、瀬里奈という特別な空間で「楽しく」過ごせることがお店の最大の商品なのです。
それ以外に、イベントとしてゴルフコンペを2ヶ月に1回開催しています。
また、従業員も含めて懇親ボーリング大会も行います。
お客様の誕生日には従業員全員で祝ってあげます。
また、店内の感謝イベントとしてして25ドルでの「飲み放題デー」もあります。
2008年04月26日
クラブ瀬里奈、成功物語その1
「クラブ瀬里奈」の成功物語が始まります。
ハワイの日系人、観光客、そしてハワイで働く日本人達から圧倒的人気があるクラブです。
そこでハワイ、ホノルルのKing St.にある「クラブ瀬里奈」に行きました。
お店は道から少し引っ込んでいて、それ程目立ちません。
道路沿いにある駐車場に車を停めて中に入ります。
表は何となく高級な感じ。まだ時間は早いのですが中に入りました。
そして、オーナーの安次富弘子さん(ニーナ)からお話を伺いました。
クラブ瀬里奈はいつもお客様で一杯です。
簡単に言いますと、かなり儲けています。
従業員は12名でほとんどが日本人です。
その内の3名は沖縄出身。
お店には約35名から40名ほどが入ります。
カウンターに10名ほど座れ、ボックス席が5つあります。
営業方式としては、お酒を出すこと、料理を出すこと、カラオケです。
料理は琉球料理を中心に出しています。
お客様では、琉球料理を目当てに来る人も多いそうです。
5年ほど前までは白人従業員もたくさんいたそうですが、だんだん辞めていき、今の状態に落ち着きました。
2008年03月20日
ハワイの新一世、不動産業界の成功者(予告)
ハワイの沖縄系新一世の活躍、第3弾はハワイの不動産業界の成功者、光洋不動産社長の中村浩子さんです。
クラブ・瀬里奈の安次富弘子さんとレストラン・サンライズの玉寄朝勝さんの後に詳しく紹介します。
沖縄大学からハワイ大学に編入して卒業。ハワイアン航空で辣腕社員としてがんばって、そしてより上を求めて不動産業界で独立したの方です。
ゴルフ大好きで、人間大好きの中村社長に大手の日系不動産が撤退する中で、生き残ってきた秘訣を聞きました。
ちなみに社長室でインタビューをしたのですが、部屋からの眺めは最高でした。マウカサイドですが、ホノルルの街並みが眼前に広がっています。パンチボールもよく見えます。
2008年03月20日
ハワイ大学にて観光の報告会
ハワイ大学で沖縄とハワイの観光について報告会をしてきました。
沖縄とハワイは似ているところがたくさんあります。
基地経済、観光依存、島嶼等・・・。
観光について見てみると、幾つかの違いがあります。
まず観光客の滞在日数が違います。
沖縄の場合は大体2泊か3泊です。
ハワイの平均宿泊数は9泊強です。
観光客数は沖縄が500万人台、ハワイは700万人台です。
しかし、観光収入はハワイが沖縄の3倍近くになっています。
単に観光客を増やすだけでなく、観光収入を増やすことも重要ですね。
2008年03月17日
ハワイの新一世・玉寄朝勝(予告)
ハワイで活躍している沖縄系新一世(沖縄生まれのハワイ在住)の取材の第2弾はレストラン・サンライズの玉寄朝勝さんです。
屋慶名出身で、10代にハワイに来て、寿司職人として長い間働き、ワイキキの近くのカパフルに自分のレストランをオープンしました。
とにかく人気のあるお店です。平日でも予約をしていかないと座れないことがあります。
美味しい琉球料理もそうですが、オーナーの玉寄さんの人柄が多くのお客さんを惹きつけています。
このレストラン・サンライズもクラブ・瀬里奈(安次富弘子さん)に続いて、紹介していきます。