2008年03月15日
ハワイアン・キルト
ハワイは伝統工芸品が少ないと言われています。
例えば沖縄なら、陶芸、琉球ガラス、琉球漆器、紅型、絣、芭蕉布など枚挙にいとまがありません。
ハワイでの数少ない工芸品の中でも代表的なものがこのハワイアンキルトです。
ハワイアンキルトは1820年頃、宣教師の妻達によって伝えられたそうです。
1820年代というと、日本は江戸時代の末期で、ヨーロッパではベートーベンの交響曲第9番が初演された頃です。
ハワイのキルトは独特の模様を持っています。
木陰に干してあった白いシーツの上にレフアの木の葉の模様が透けて見えたのがとても美しかったのでそれをキルトにしたとも言われています。
最初の頃は白い布地に色のついた布地を乗せて作られていましたが、現在ではさまざまな組み合わせで作られています。
沖縄でもそうですが、大量生産した安物の工芸品がお土産として売られています。
ハワイアンキルトも安いものから高いものまで売っています。
ハワイの伝統に触れ歴史を感じるためには、やはり本物の心を込めて手作りされたハワイアンキルトがいいですね。
2008年03月12日
ハワイの求人状況
これは日刊サンというハワイの日本語新聞です。
日本のニュースとスポーツ、そしてハワイのニュースの翻訳、KIKUやNGNという日本語テレビ放送のスケジュール、求人や営業広告などが載っています。
そして驚いたのは、求人広告の多さです。
新聞の4面を占めています。
ハワイでは、日本語のしゃべる人の求人が多いのです。
これは主に日本人観光客をターゲットとしているビジネスです。
写真で見えるように旅行業大手のJALPAKやJTBを始めとして、日本食レストラン、居酒屋、ワイキキやアラモアナでのブランド品の販売職があります。
日本語と英語がしゃべれてグリーンカード(永住権)のある人が少ないことが背景にあります。
2008年02月08日
ハワイでロミオと友達に・・
全世界のアメリカ軍の持っているゴルフ場で一番きれいと言われているKlipperゴルフ場の13番ホール
ハワイでロミオ宮里

彼は沖縄で高校まで出て、復帰の年にグアムに移りそして空軍

中学校はキングスクールで高校は久場崎ハイスクール

その時の同級生では、キリスト短大の教授や、ノーベル賞候補の物理学者がいるそうです

2ヶ月前にハワイに赴任になったそうで、すぐに友達になり、一緒にお酒を飲んだり、ゴルフをしたりしています

とっても良い人で面白い人です

この日は2名でカネオヘにある海兵隊の基地の中のクリッパーというゴルフ場に行きました(普段は入れません。ロミオのゲストで入れました)。
そこでアラスカ大学の地理学の教授を引退したマーブとシカゴのビジネスマン、ジムと同じ組になりいっしょに回りました。
そして、この写真はその噂の13番ホールでのジム、ロミオ、マーブ(左から)の記念写真です。
マーブとジムは高校時代の友達だそうで、寒いアラスカやシカゴを逃げ出してハワイに3ヶ月間滞在しているのだそうです。
ハワイは面白いところです。
2008年02月05日
ハワイで自動車免許
ハワイで自動車の免許を取りました

取得にはソーシャルセキュリティー番号が必要です。
でも、もし持っていなくても、ダウンタウンにあるソーシャルセキュリティーオフィスで番号を持っていないという旨を書いてある書類を運転試験場へファックスしてもらえば問題ありません。
そして、ハワイのイエローページにある模擬問題を勉強してから、日本語で筆記試験

これに合格すると一年以内に実技試験を合格すればいいのです

私は自分で練習して自分の車

車線変更の時に首を充分に回した後ろを見なかったと言うことで5点マイナスでしたが、95点で余裕の合格です

ちなみに日本の免許が切れていても、ハワイで3ヶ月以上免許を持っていれば日本に帰って、日本の免許証に切り替えができるそうです。
私の山内中学時代の同級生がハワイにいて、彼は日本人観光客にハワイでの運転免許取得の指導をしています。
トム(喜納)のHPアドレスです。http://www.tomhawaii.com/
ハワイで免許証を持つ利点としては、パスポートを持ち歩かなくて済むこと。
カマアイナ(地元民)扱いで、ホテルやレストラン、ゴルフ場が安くなること。
日本の免許が切れても、切り替えができる等・・です。
2008年02月02日
ハワイの「ワールド・ウチナーンチュ・ビジネス協会」
琉球国祭り太鼓の勇壮な踊り
1月中旬にハワイのワールド・ウチナーンチュ・ビジネス協会(WUB)の新年会に出ました。
ワインや泡盛を飲みながら美味しい食事をして、いろいろな余興を楽しみました。
沖縄からの留学生達がかぎやで風を演奏して踊ってくれました。
そして、最後にはアケミ先生を中心としてハワイで活躍している琉球国祭り太鼓を勇壮な踊りを見て、その後はカチャーシー大会でした。
さて、このWUBというのは、世界中に広がっている沖縄系のビジネスマンの集まりです。
ハワイでは毎月第一木曜日にミーティングがあります。
何回か参加しました。
顔と名前はみんなオキナワーですが、しゃべるのは英語です。
特に仲宗根さん、名護さん、比嘉さん、久場さんなどが頑張っています。
ダニエルさんという若手会員が今、沖縄で研修中です。
私は4月に沖縄に帰りますが、その時にダニエルさんと再会する予定です。
一緒においしいものを食べに行きます。
2008年01月20日
取材開始・クラブ瀬里奈(予告)
若き日の安次富さん、アメリカ留学の頃です
先日、「クラブ瀬里奈」の安次富弘子さんの取材を終えました。
3ヶ月ほど体調を崩していたそうですが、やっとで回復して今回の取材となりました。
1度目はアラモアナホテルの最上階の高級なレストランで夕食を食べながらインタビューをしました。
そこでは主に安次富さんのビジネスを始めるまでの個人的なことを伺いました。
食事の後、レストランのバーカウンターで少し飲んでいたら、バーテンダーさんがいろいろと手品を見せてくれました。
2度目のインタビューはアラモアナショッピングセンター内のイタリアンレストランで昼食を取りながらでした。
この時は主として、現在経営している瀬里奈のことと、将来の夢などを聞きました。
あと一度、最後のインタビューを終えたら本格的にこのブログで紹介します。
10名集まったら本にして出版する予定です。
インタビューしての感想。沖縄女性の強さとたくましさ、やさしさを安次富さんから感じました。
紹介するのが楽しみです。
2008年01月18日
ハワイの方向の示し方
遠くにダイアモンド・ヘッドが見える
ハワイで方向を示すときには、特別な言い方があります

大体はホノルルにいることを前提にして方向を示します。
ダイアモンド・ヘッド方向といえば、東側を指しています。
エヴァ方向といえば西です。
マ・ウカは山側の場所を指します

マ・カイは海側の場所を指します

コンドミニアムが二つあったら、山側をマ・ウカ・サイドと名付け、海側のビルをマ・カイ・サイドと言います

ホノルルを出るとダイヤモンドヘッド側もエバ側も方向指示としては、使えません

道を聞いたらこの方向を指す言葉が頻繁に出てきます。
最初は困りましたが、今なら理解できますよ

2008年01月16日
ハワイでビデオを借りる
時々、日本の映画や、日本語の字幕がついた映画を観たくて、ビデオを借ります。
だいたいの店員さん達は親切で笑顔で接してくれて、映画だけでなく日本のドラマを録画したものも置いてあり、重宝しています。
でも、もしこのNビデオ店以外にもっと良いところがあれば、そこに乗り換えようかと思っています。
何故かと言いますと・・・。
私はこの9ヶ月で400ドルあまりのレンタル代を払っています。
しかし、特に特典もなく、借りれば借りるほど優遇されるということはありません。
それから、このようなことも経験しました。
お店は午前11時にオープンなのですが、ビデオを返しに10時半にそこに着きました。
特に外に返却用のボックスもありません。
5分ほど待っていると、あまり見たことのない店員さんが出てきました。
駐車場の鎖をはずし、外を掃除し始めました。
それで、その店員さんにちょっと早いのだけどこのビデオを返したいと言いましたら、「ちゃんと時間まで待ってください」と言われました。
ビデオは返却が遅れているわけでもなく、受け取ってカウンターに置いてくれるだけでいいのですが、お願いしても聞き入れてくれません。
仕方なく25分間程、外で待っていました。
店員さんは面倒が嫌だったのでしょうか? それとも、お店の方針?
でも、私はこのビデオ店を使い続けます。
なぜなら他の良いビデオ店を知らないからです。
でも、もしこのお店以外にあるなら、直ぐに利用するお店を変えるつもりです。
タグ :ビデオ
2008年01月14日
ハワイのサーフィン大会
12月16日の日曜日

ノースショアのサーフィン大会

この日は絶好のドライブ日より

天気も良く風もさわやか。
しかし、それが災いしたのか、波が高くなくて今日のサーフィン大会は延期です

でも、海岸に行ってみると子供達がサーフィンをしているではありませんか

たぶんプロも何名かいて、父兄も集まっていて、サーフィンの子供大会か、スクールではないかと思います。
親御さんの応援の中、子供達は素晴らしいサーフィンを見せてくれます。
感心しました

写真に写っているサーファーは大体小学校4年から6年生くらいじゃないかと思います。
子供達のサーフィンを見た後、有名なカフクシュリンプを食べました

このシュリンプワゴンの近くでは、エビを養殖していました。
私は今回はガーリック味にしました。
2008年01月12日
ハワイの「見える化」マーケティング
あるサーフィン関連のお店の中にサーフィンボードを作る工房がありました。
きれいな照明も当てて、大変幻想的な感じです。
買い物をしながら覗くことができます。
ノースショアにあるこのお店はサーフィンボードやサーフィンファッションを売っています。
これまで工房とか厨房とかは奥の見えないところに隠していることが多かったのですが。
今は、わざと表に出してお客様に見えるようにします。
お客様は、それを見て楽しみ、そして見えることで安心するのです。
今、舞台裏をみせる「見える化」マーケティングが増えています。
2008年01月10日
ピジョン・イングリッシュ
地元の人達のパーティー、ピジンイングリッシュが頻繁に聞かれた
その昔、ハワイの砂糖耕地で働くために、中国、日本、韓国、フィリピン、ポルトガルなどから、多くのひとがハワイに移住してきました

そして、彼らは英語を基軸としてそれぞれの母国語などを混ぜて独自の言葉を話し始めたのです。
この新たに形成した独自の口語英語のことを、ピジン・イングリッシュと呼んでいます。
例えば、カウカウ

普通の英語より、アクセントが強く、歌を聴いているようです

単語さえ分かれば、普通の英語よりは分かりやすいかもしれません。
レストランで地元のウエイトレスなどがおしゃれな英語でサービスをしてくれていて、その後に横を向いて友達とピジン・イングリッシュなどを話し始めると、驚きます

沖縄でも若い子達が、観光客に丁寧な言葉で対応してしていても、横を向いて友達と話をするときに「ダールバーヨ」なんて話しますよね

2008年01月08日
ハワイのカマアイナ
ポリネシア文化センターのショーもカマアイナは安かった
カマアイナ というのは、ハワイの地元の人達のことでです

ハワイアンでは「土地の子供」という意味で、ハワイ生まれや、またはハワイに長く住んでいる人達のことを言います。
このカマアイナになれば、いろいろなショーやホテル、レストラン、ゴルフなどが安くなります。
「カマアイナ」になるのは、案外簡単です。観光客でもなれます

方法としては、州政府(ホノルルにある)に行き、ステイツIDを作ります。
これはすぐ出来ます。
または、ハワイ州の自動車免許(仮免許証でも良い)を取得します。
これもフェデラル・オフィスでソーシャルセキュリティー番号を貰えないという書類を持って、日本語で筆記試験を受けて合格したら仮免許が貰えます。
これらの身分証明書がカマアイナの証明になるのです。
でも、市立のゴルフ場だけは、実技試験を合格した後に出る正式の免許証でなくてはカマアイナになりません。
ハワイは観光客のニーズの高さでいろいろなものが高価格になってきています。
そのような中で地元に住んでいる人もその高さのために大変な思いをするのです。
それを緩和するために、地元民優先の政策があります。
それが「カマアイナ」なんです。
沖縄も観光立県で観光客に経済的に助けられています

しかし、普段の生活の中でも観光客と同じコストを払わされることも少なくありません

でも県内のホテルやゴルフ場ののウチナーンチュプランなどはカマアイナ価格ですね

2008年01月06日
ハワイのお正月体験
12月31日、アパートの大掃除を済ましてから、一人でダウンタウンにあるアロハタワーに行きました。
大晦日の花火大会があるのです。
その前に午後7時くらいから、ハワイの有名なミュージシャン達の無料ライブがあります。
ハワイに来て9ヶ月ですが、そのようなライブにもほとんど行きませんでした。
今日はその分を取り返そうと思い、6時頃からいい席に陣取り、11時半までのライブをすべて見ました。
そして、それからサンライズ・レストランで知り合ったロミオ宮里(近い内に紹介します)が仕事を終えて、アロハタワーに駆けつけてくれて、一緒になって新年の花火を見たのでした。
新年と同時に花火が上がりました。
全米でトップ10の規模らしいのですが、日本のに比べたらまあまあでした。
でも、周りの盛り上がりは日本以上です。
7時からライブがあったのは、この3名のハワイアングループ。ハワイアンポップスという感じ、ヤング達に人気がありました。
真ん中のボーカルの声がとてもソフトで素敵でした。
8時過ぎからは、女性のハワイアン歌手です。
右側にいるのが旦那さん、左側が弟です。右端でフラを踊っているのは娘さんだそうです。
トラディッショナルなハワイアンやしっとりとした歌を唄っていました。
9時過ぎからは、ジェイク島袋の弟子(??)の高校生二人組です。
早引きや、高校生らしい恋の歌を唄っていました。
なんでもウクレレ大会で優勝もしたらしいです。
最後に、レゲエバンドでした。
見ていた多くの若者達が舞台の前に出て一緒に踊っていました。
これらのバンドや歌手はみんな有名らしいのですが、私はどれも分かりません。
でも、素晴らしい音楽がたくさん聴けて満足しています。
いい大晦日でした。
2008年01月04日
ハワイ語、指針小冊子の発行
誇り高きカメハメハ大王が小さくではあるが中央に写っている
マイアミのクルーズ会社がハワイの人達が誇りにするカメハメハ大王がシャンペングラスを掲げている写真を自社の広告に使ったそうです。
それを見たハワイの人達は不適切で無神経すぎると憤慨して抗議をしました。
そのクルーズ会社は直ぐに謝罪して広告を取り下げたらしいのですが。
たびたびこういう事が起きるために、ハワイの観光関連の公的機関、ハワイ・ツーリズム・オーソリティー(HTA)は、ハワイが正しく理解されていないことを認識しました。
そして、ハワイ外の人が誤解しがちなことを明確にして、ハワイ語の正しい使い方を解説したガイドブックを発行したのです。
細かい内容は省略するとしまして、ガイドブックの中からハワイの新しい言葉を少し紹介します。
ハワイ語辞書委員会は、これまでハワイアンで表現できなかったものを、ハワイ語にして辞書を作っています。
日本 Iapana(イアパナ)
大根 Kaikona(カイコナ)
箸 La'au'ai(ラアウ・アイ)
テレビ Kelewikiona(ケレヴィキノア)
電話 Kelepona(ケレパナ)
コンピューター Kamepiula(カメピウラ)
コーヒー Kope(コペ)
パン Palaoa(パラオア)
招き猫 Manekineko(マネキネコ)
ちなみに、「招き猫」までハワイ語で作られる背景には、ハワイの飲食業は日系だけに限らずどこでも招き猫が飾られているためです。
沖縄も先祖伝来のウチナーグチがあります。
そして、沖縄独特の習慣や決まり事もあります。
ハワイみたいに州を上げて自分たちの文化と言葉を守ろうとする姿には感心します。
沖縄以外の外で作られた沖縄の姿と、自分たちが大切にしてきた姿の間に、ギャップが出てきているような気がします。
どのようにして守るか・・・、いや、その前に沖縄の「何」を守るのかをハッキリとさせて、それを守る気持ちを少しずつでも高めていくのが先でしょうか。
2008年01月01日
ハワイより、謹賀新年
新年にハワイの暖かい風を送ります
新年明けましておめでとうございます

ハワイから新たな年のお幸せをお祈りいたします

しかし、このブログが掲載された今、ハワイはまだ31日です。
日本に日が昇り、それからヨーロッパを回って米国本土、そしてハワイにようやく新年が来るのです。
あと三ヶ月でハワイともお別れです

昨年は、あまりブログも更新できませんでした。
また、ハワイで成功した沖縄系の一世の話もまだ一回も掲載していません。
先日、第一回目の成功者のインタビューが終了しました。
これをまとめてから1月中旬に掲載を予定しています。
沖縄に帰る前に、せめて2~3名はご紹介したいと思っています。
最初は「クラブ瀬理奈の元気なオーナーの安次富さん

そして、サンライズの玉寄さん



みんな沖縄から単身ハワイに乗り込んできて、自分でビジネスを始め、成功している人達です

Aloha & Mahalo
2007年12月29日
ハワイ、地元の人が集まるフリーマーケット
カム・スワップミートに行ってみました

パールリッジ・ショッピング・センター横のドライブインシアター跡でやっています。
観光客はあまり見かけず大体が地元客です

このスワップミート/ SWAP MEET という言い方はあまり耳に馴染みがないかもしれません。
これは日本で言うところのフリーマーケットと同じように屋外で賑やかに開かれる青空市のことです

もともとは各自が持ち寄った古着や古道具、野菜、果物などを交換、あるいはタダ同然の値段でやりとりした小規模な交換市がはじまりとか。
定期的に開催されるものとしてはアロハスタジアムとカム・ドライブインシアターの2か所が有名で人気を集めています。
しかしこの2つは、規模も内容も大きく違います。
カム・スワップミートは「圧倒的にロコが多い地元密着使い古し品満載

それから、アロハスタジアムは「超ビッグなお祭り縁日感覚

カムは地元中心で、アロハスタジアムは旅行者をターゲットにした土産物がメインになっています。
アロハスタジアムにも何度か行きましたが、規模の面では大きいのですがワイキキのお土産品店の延長線という感じがしました。
ただし、そこで売っている物はワイキキで買うよりもかなり安くなっています。
観光客はワイキキでどのようなものを買いたいかを決めて、それからアロハスタジアムで実際に購入すると、お土産代やショッピング代が半分以下になるかも知れません

私のお気に入りはやっぱりカム・スワップ・ミートです。
理由は「 宝物さがし 」感覚です。
実際に買う物は少ないのですが、歩いて回っているとこんな物までと思うものも売っています

この二つのスワップミートは案外近いところに位置しています。
一つに来たら、もうひとつにも足が伸ばせる距離です。
マーケティング的に言えば、集積効果を出しながらポジショニングの差別化を図って共存している状況です。
オープン時間もずらしており、早朝はカムにちょっと時間が経ってからアロハスタジアムに移動というパターンで楽しめます。
2007年11月28日
ハワイのデ・マーケティング(ハナウマ湾)

ハナウマ湾を上から見たところ
ハナウマ湾は、さんご礁の保護目的でハワイで最初に保存区として指定されました。
指定から40年が経ち、死滅しかけたさんご礁や魚貝類がやっとで復活してきました。
ここは、1961年にエルビス・プレスリーの映画、「ブルー・ハワイ」のロケ地としても有名でもあります。
ハナウマ湾を訪れる人は1989年には観光客が7割を占めていました。
そして、利用者も1日一万人前後で、年間には300万人もいました。
しかし、利用者が増えるにつれ、彼らが魚に与えるパンとか豆類で湾内の海水は汚染され、日焼けローションが海面に漂うようになり、湾内の魚類が死滅し始めたのです。
そこで、ハワイ州は餌付け禁止や日焼けローション禁止、さんご礁の上を歩くことの禁止など、規制を強化しました。
2002年には、ハナウマ湾利用者の有料化、観光バスでくる観光客は湾の上の駐車場からの見学のみ等を決めています。
また、入場者は海洋生物の保護教育用ビデオの必見を義務つけました。
また、駐車場が満杯になると、これ以上の見学者・利用者は入場させないという制限をつけたのです(300台しか入れません)。
有名観光地は観光客を数多く集めるために年中無休の体制をとりますが、ハナウマ湾では週に一回、火曜日は一切入場者を入れずに、海を休ませています。
これらの厳しい保存規制により、現在では年間利用者は150万人前後と落ちつき、さんご礁、魚、海水、砂浜などは以前のきれいな状態に戻ってきているそうです。
観光ビジネスという観点からは、ハナウマ湾の戦略はお客さんを入れない方向に動いています。
つまり、マーケティングで言うところのろ販売促進を逆にした、非販売促進を行っているのです。
これは「デ・マーケティング」と言われ、いかに顧客の増加を抑えるかが目的となります。
結局、ハナウマ湾はこの「デ・マーケティング」により、死滅しそうであった自然を復活させ、「自然と楽しむ」という観光客や地元民のニーズを満たし続けることができたのです。
翻って沖縄の状況をみると、自然を守るという意識がまだ薄いように感じます。
結局、金の卵を産むガチョウを大切にしていくことで、継続した観光の発展が望めるのです。
あまり慌てて金の卵を産むガチョウを殺してしまってはいけません。
2007年11月25日
ハワイ、ノースショアのサーフィン大会
アラモアナ側は波が静かです
ハワイ州のオアフ島の北側で行われるノースショア・サーフィン大会

昨年の11月から12月にかけて、約1ヶ月間、3種目のチャンピオンシップが展開されました。
そしてこの30日間の経済効果が発表されました。経済効果はすべてをまとめて1460万ドル(14億6千万円)となったそうです。
大会に参加したサーファーが164名、同伴者が31名、メディア関係者が223名、選手に同伴した観光客が1539名、大会開催に合わせてハワイを訪問した観光客は1650名です。
延べで7000名が大会を観戦して、テレビ放映で約190万人がサーフ大会を観戦したと推定しています。
そして、ハワイ州の税収入が約80万ドル(9千6百万円)あったと言います。
沖縄もスポーツイベントが定着してきています。
マラソン、トライアスロン、ゴルフ、野球キャンプ・・・。
後は、何かマリンスポーツも欲しいですね。
さて、このノースショア恒例のイベントが今年もあります!
世界のトッププロ・サーファー達が、オアフ島ノースショアの伝説のビッグウェイブに挑みます。
キックオフは、OPプロ(ハレイワ)です。
続いてオニール・ワールドカップ・オブ・サーフィン(サンセットビーチ)にて。
女子ロキシー・プロ(サンセットビーチ)が続きます。
そして、ビラボン・パイプラインマスターズ(パイプライン)が開催されます。
今年は、11月12日から12月30日の間に波の状況が良い日を選んで行われます。
近い内に、見に行きます

2007年11月22日
小禄レストランビジネス研究会
コリアンレストランの注文窓口
毎週、第三火曜日には日本文化センターに出かけます

そこでは、Tさん夫妻を中心に小禄出身者のレストランビジネスを研究する会が催されています。
なぜ、小禄かと言うと、沖縄移民がスタートさせたハワイの飲食業の原点が小禄出身にあるからです。
私をその会に招いてくれたのは明治大学で博士課程で勉強しながら、ハワイに1年半ほど住んでいるK君でした。
彼は本土出身でありながら、ハワイの沖縄系移民の歴史を研究しています。
そして自費でハワイに住み込み、沖縄センターでボランティアで子供たちの世話をしたり、沖縄系3世や4世の通訳や文書の翻訳などを手伝ったりしているのです。
沖縄出身の私たちよりも多くの沖縄について知っています。
また、沖縄系のレストランで毎週土曜日に三線を引いてお客さん達を楽しませていました

彼はハワイでの生活を終えて明治大学に帰っていきました。
今は、ハワイで集めたいろいろな資料を元にして博士論文を執筆中だそうです

ハワイの沖縄移民が始めたレストランビジネスはもう少ししか残っていません。
一世や二世たちが引退し始め、高度な教育を受けた三世や四世達は別の仕事に付きはじめたのです。
そして、レストランビジネスをやっていた親たちも、自分たちの苦労を子供たちにさせたくないと、レストランを継ぐことを強制しなかったそうです。
今、これらのレストランビジネスは、韓国から来た新一世たちが買い取って、コリアンレストランを開店させています。
若い彼らの働くことに対する執着とパワーにはすごいものがあります

量も多く、味も日本人に合い、白いご飯も美味しいので、私もよく食べます。
沖縄の移民たちも昔はそうだったんだろうなと感じさせます

2007年11月19日
ハワイのお葬式
ハワイのお葬式に参列しました。
お世話になったAさん(沖縄系3世;具志川)のお葬式です。
Aさんの人柄を表すように多くの人がお葬式に参列していました。
葬式といっても、日本違い、線香は無し、喪服も無しで(アロハシャツで参加)、食事つきでした。
最初は、牧師さんの説教があり、Aさんの人柄やエピソードなどを紹介していました。
それから、ギターの演奏で参加者も一緒に賛美歌を唄いました。
式の終了後にバイキング形式の食事があり、みんな旧交を温めあいながらおしゃべりをしていました。
沖縄と似ていたのは、受付で香典を出して、名前・住所を書くところでした。
Aさんとはニ度しか会ったことはありません。
でも、その出会いでAさんの暖かい人柄とやさしさを感じました。
おごってもらったオリオンビールが美味しかった。
体がきついのに、日系スーパーの「まるかい」まで、連れて行ってくれて、いろいろと説明をしてくれました。
沖縄の一世たちが立ち上げたレストランやレストラン跡も一緒に回りました。
Aさんに会えて知り合いになれたことは、私にとって何もにも代え難い宝物です。
ご冥福をお祈りいたします。